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2011.03.13 ニュース
おととい、こちらにも地震のニュースが入ってきました

東京の家に電話したものの、しばらくつながらず。
職場にいたので、職場のネットでニュースを検索するも
そのPC、日本語のフォントが入ってなくて、写真は見えるけど記事が読めない

その後、家に電話がつながって家族の無事を確認しました。

家のテレビの調子が悪く、見れてもタイ語もしくはラオ語(CNNが見れない)。
ネットでもニュースを追ってますが、断片的な情報しか得られません。
ラオス人も地震のニュースを見ているらしく、何人もの人に、
「こわいね」とか「家族は無事なのか?」と聞かれました。

日本、どうなってるんだろう。
いろんな被害が拡大しないよう祈るしかありません。


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先週末、アッタプー県の一番東、
ベトナム国境と接しているサンサイ郡というところに行ってきました。

目的地は県中心部から70㎞以上離れた山の中の学校。
県教育局長自ら足を運んで教材を届け、学校を視察するというもの。
車にもう一人乗れるということで、私も連れてってもらいました。

サンサイ郡の平地までは行ったことがありますが、
山の中に入るのは今回が初めて。

県中心部からサンサイ郡の平地までは舗装道路ですが、
山の中に入るとすぐに赤土の道に。
途中、道路わきに放置された戦車を発見!
ここにも戦争の傷跡が・・・。

道はぐねぐね曲がったり、登ったり下ったり。

サンサイ郡道

上下左右の揺れに容赦なく襲われ、
「酔いそう・・・」
と思ってたら、ラオ人スタッフの1人が途中休憩のため車を降りた途端に吐いてました。
日本人ならこんな時、
背中の一つもさすってあげるところでしょうが、
周りのラオ人は
「あらまー、酔ったの?アハハハハ」って・・・。

サンサイ郡山

山に入ってすぐは、
ほんとにここに人住んでるの?ほんとに学校あるの??
という感じでしたが、
少し行くとぽつぽつと集落が見えてきました。
ここでもちゃーんと生活が営まれているんだなあ。

そして目的の村に到着。
日本の昔の風景ってこんなんだったのかな~、
と思うような風景が広がっていました。

サンサイ郡村  サンサイ郡村2

サンサイ郡村3  サンサイ郡畑

今日は土曜日でしたが、
学校には4人の生徒が来ていました。

サンサイ郡学校

最初見た時には生徒の保護者かなと思いました。
でも聞いたところによると、
彼らはラオス語を習いに来ているとのこと。

ここの村の人はタリアン族という民族の人々で、
彼らは独自の言語を持っています。
女性の中には早くに結婚してしまって学校に行く機会がなく、
ラオス語の読み書きができない人がいます。
そんな人たちが土日にラオス語を習いに来るのだそうです。

サンサイ郡学校3  サンサイ郡学校4
↑先生がラオス語を発音して見せた後、生徒が発音。ギャラリーがたくさんいたので照れてました。

サンサイ郡学校2  教材を渡す
↑どれどれ学校の状況は?                ↑教材ちゃんと使ってくださいね。


帰り道、車が止まる。
なんだ?と思って前を見ると、

あれ??家が道の真ん中に・・・???

なんと家一軒を村人みんなで移動させているところでした。
高床式の家って移動できるんだぁー。
面白い場面に出会いました。

家の移動1  家の移動2
↑さ、みんなで運ぶぞ~。                 ↑せーの!

家の移動3 あっちのほうに移動されました。


サンサイ郡で出会った子どもたち
サンサイ郡こども1  サンサイ郡こども2

サンサイ郡こども3  サンサイ郡こども4

サンサイ郡こども5  サンサイ郡こども6

帰りにみんなで食べたピンパー(焼き魚)
ピンパー
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